Tokyo Chapel

2018年3月23日

第82日

神とのホットライン

1962年10月、ソ連が核ミサイル基地をキューバに作ったことによって、アメリカのケネディー大統領とソ連のフルシチョフ首相の間はこう着状態になりました。キューバ危機は第三次世界大戦を起こしかねないものだったのです。しかし、コミュニケーションの確立によって、それは回避されました。

その当時は、携帯電話もショートメッセージなど最近の通信手段はありませんでした。アメリカのホワイトハウスとソ連のクレムリンの間に直通の電話線が敷かれたのです。この通信線は「ホットライン」と呼ばれました。もし、誤解をもたらすような危険があれば、いつでも受話器を取ればコミュニケーションが図れたのです。

コミュニケーションはすべての関係を生き生きさせます。コミュニケーションを築き養うために時間を割くことが基本です。イエスはあなたと神との間に「ホットライン」を設けてくださったのです。しかし、それは緊急時にだけ使うものではありません。それはいつでも使うべきものなのです。


神の前に心を開く

詩篇37:1-9

あなたはどのようにしてあなたの願いを達成させることができますか?詩篇の作者であるダビデはこう言います。「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる(4)。」あなたが欲しいものを追及するよりもむしろ、主を自分自身の喜びとするなら主があなたの心の中にある願いをかなえてくださるのです。自分が欲しいものを手に入れようとするよりも、神が願っているものを受け取ることの方がもっといいのです。神は次のように約束しています。

  1. 恐れの中にある信仰
    あなたを恐れさせたりパニックに陥らせたりすることがたくさんあるかもしれません。しかし、ダビデは3回「腹を立てるな(1,7b,8)」と繰り返します。また「ねたみを起こすな(1)」ともあります。むしろ、神の方に向きを変えて、あなたの恐れを差し出し、「主に信頼して善を行う(3)」のです。信仰とは信頼です。それは恐れやパニックの反対にあるものです。
  2. あなたの決断のガイド
    「あなたの道を主にゆだねよ。(5)」とあります。それが導きを知る鍵です。決断を神のもとに差し出し、神に働いてくださるように願い求め、神を信頼するのです。何度も何度も、私自身の生活の中でこの節を用いてきました。私はまた、この節を決心することに葛藤している人、特に仕事や結婚相手について葛藤している人のために祈る時に用います。

    それは3つの単純なプロセスです。第一に、祈りのうちに決心を神に委ねることです。主があなたのために正しい扉を開いてくださるように、そして正しくない扉を閉じてくださるようにです。第二に、神の手に任せて信頼することです。第三に、あなたの「道」に歩み続けながら、信仰をもって、神が働かれるのを注視することです。神が働いてくださることを期待しつつ…。

  3. あなたの心にある平安
    神へのホットラインを用いましょう。「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。(7)」とあるように時間を取りましょう。「主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる(6)」源です。これが、腹を立てたり、怒ったりすることを避け、平和と希望を見出す方法なのです(8-9)。

主よ。私があなたに信頼する時、恐れ、嫉妬、怒りから守ってください。今日、私は、私の道をあなたにゆだねます。神よ。あなたの御前にとどまります。私はあなたを喜びます。

2.神のことばに聴く

ルカ4:38-5:16

ホットラインは一方通行ではなく、双方向です。それは祈りの中で神に語ることと、主の御声を聞くことの両方です。これはイエスご自身の働きにおける奥義です。かつてイエスほど力強い働きをした者は誰もいません。また、イエスほど時間と労力を求められた者は誰もいません。

皆がイエスの助けを求めました。彼らがイエスにシモンのしゅうとめの癒しを願った時、イエスは彼女を癒しました。イエスは連れてこられるすべての人々の上に手を置き、彼らを癒しました。イエスは福音を語り続けました(4:44)。イエスは「全身ツァラアトの人(5:12)」を癒しました。群衆は増え続け「話を聞きに、また、病気を直してもらいに集まって来た(15)」のです。

イエスはどうしたのでしょうか?イエスの奥義とはなんでしょうか?イエスの力の源はどこにあるのでしょうか?「朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた(4:42)。」のです。「イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた(5:16)」のです。あなたは神とのホットラインを通して力を蓄えられるまで、神の国における生活の要求に耐えることができません。

群衆は「神の言葉をもっとよく聞きたい(1,MSG訳)」とイエスのもとに押しかけてきました。イエスは舟を講壇に用いて群衆を教えました(3)。イエスを通して神の言葉を聞くことはペテロの人生を作り変えました。

ペテロは魚をたくさん獲っただけではなく、神が彼の人生とともに働くという大きなビジョンを捕えたのです。その3年後に、彼は説教を語り、一日に3,000人が回心したのです。彼は2,000年五に20億人を超える人々がイエスの名を呼ぶ者とされる礎を築いたのです。この行動化されたたとえから、私たちは何を学ぶことができるでしょうか?

  1. 潜在的な力は莫大です
    彼らは一匹の魚も取れませんでしたが、獲るべき魚はたくさんいたのです。ガリラヤ湖には、魚の群れが、あたかも何キロ四方にもわたって湖面を埋め尽くすように集まる現象があったのです。

    網を洗うことは漁師にとって大事な仕事ですが、もっと大事な仕事は魚を獲ることです。教会にとって最も大事な務めは宣教です。イエスは言いました。「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい(4)。」イエスについてのメッセージを聞くことを必要としている人々がたくさんいるのです。

  2. イエスにあって不可能なことはない
    ペテロの最初の反応は否定的で悲観的でした。彼はうまくいくとは思っていませんでした。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。(5a)」それからしばらくの沈黙のあとで、「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。(5b)」と言いました。イエスは不可能と思えることを可能にします。「そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。(6)」
  3. 一人ではできなくとも一緒であればできる
    「そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。(7)」パートナーシップは宣教の鍵です。不一致は教会の外にいる人々に嫌悪感を与えます。パートナーシップと一致はとても魅力的です。
  4. それは向かう価値のあるビジョンです
    ペテロの最初の反応は自分自身が無価値だと感じたことからのものでした。「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから(8)」それと同時に、ペテロも他の人々も魚が取れたことに驚愕しました(9)。彼らは恐れおののいていたに違いありません。しかしイエスは言いました。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。(10)」彼らは目指すべきビジョンが分かりました。「彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。(11)」

祈り:主よ。あなたへのホットラインを設けてくださってありがとうございます。イエスのように、寂しい場所を見つけ、あなたと二人だけになることを求めます。祈りのうちにあなたの言葉を聞かせてください。


神とのコミュニケーションを第一とする

民数記15:1-16:35

旧約聖書の特に今日のような箇所を読む時、あなたはとてもショックを受けるかも知れません。簡単な答えや軽率な説明はできません。多くの点で理解することが難しいのです。たぶん、私たちが理解可能なことに焦点を合わせることが良いでしょう。

この箇所で明確なことは、神との生き生きとした交わりとそのために時間を割くことがどれほど大切かということです。「なだめのかおり」という言葉がよく出てきます(15:7,10,13,24)。ささげ物は「贖い(25)」のためでした。贖い(atonement)は私たちを神と一つに(at-one-ment)導くものです。それは赦しのために必要だったのです(25-26、28)。このすべてのことは、イエスというささげ物が、完全な赦しと贖いをもたらし、そうして神とのホットラインをあなたが持つことが出来たのです。

イエスは安息日の理解を変革しました。神の民は、安息日を一週間のうち、神との交わりのために時間を取り置く非常に重要な日としていたのです。安息日の規則は今日適用されるものではありません。しかし、神との時間を取り置き、休息を得るという安息日の原則は今も生きています。

安息日に休む目的は、私たちの偶像となってしまう「自分の心と目(39)」の欲望を立ち止まらせることです。あなたは神のために聖別された者(40)とみなされて、神はあなたをご自身の近くに引き寄せたい(16:9)のです。神との関係は、尊大と反逆によって、脅かされ、その結果深刻な状態をもたらしてしまうので、神との関係は大切にしなければなりません。

私たちは聖霊の時代に生かされるという特権を得ています。そして、イエスが十字架と復活を通してもたらしてくださった自由を喜び楽しむことが出来るのです。ですから恐れることなく、神とのホットラインを喜んで用いることが出来るのです。これらの節は、あなたにこの大いなる特権を最大限に活用ことや、神の前に時間をとって静まり、神の臨在を楽しみあなたの願いを神の前に差し出すことを励ましているのです。

祈り:主よ。あなたを喜び、あなたのそばで日々を過ごし、あなたとの時を過ごす時間を見出す生活へと私を導いてください。アーメン。

H.K