Tokyo Chapel

2019年1月24日

第24日

神の声を聴く方法

あなたが病院に行って「先生、あちこち問題があるんです。膝を捻ってしまって、眼もかすむし、指は腫れあがってるし、テニス肘だし、背中も痛いんです…」とさんざん問題を医師に話した後で、腕時計に目を留め「なんてこった。こんな時間になっちゃった。行かなきゃなりませんので、失礼!」と言ったら、医師はポカンとして「少し待ってくれ。私の診立てを聞きたくはないんですか?」と言うのではないでしょうか?

もし私たちが神に話すだけで、聴くための時間を取らないなら、同じ間違いを犯しているのです。私たちは皆、神に話しはするのですが、神から実際に聞こうとしないのです。しかし、私たちと神との関係は双方向の会話を意味します。祈るとき、神の霊から来たかもしれないと心に思いついたことを手帳に書くことは神からの語りかけを聴く助けになります。

メディアが発達した時代に生きる私たちの周りには、テレビ、ラジオ、インターネット、ツイッター、フェイスブック、インスタグラム、Eメール、SMSとたくさんの声に満ちています。私たちには家族、友人、同僚の声もあります。そして、時には神を信じさせなかったり、神が私たちに最も関心を持っておられるということに疑いを持たせるサタンの声もあります。

どのようにしてあなたは気を紛らわせる生活と雑音の真っただ中で神の声を聴くことができるでしょうか?


みことばに神の声を聴く

箴言3:1-10

神の私たちへの語りかけは往々にしてすでに語られた聖書のことば、神の「教え」と「命令」(1)にあります。あなたが聖書を読むとき、神があなたに語りかけてくださり、あなたが主の声を聴くことができるように祈りましょう。

「あなた自身で全部を描き出そうとしてはなりません。あなたのすることすべてにおいて、あなたの行くところすべてにおいて神の声を聞きなさい。神こそがあなたの段取りを進めてくださるお方です(5-6,MSG訳)。」

聖書の中の節を学ぶこととして、神の言葉を「あなたの心の板に書き記す(3)」という方法があります。ニッキー・ ガンべル夫妻は新婚旅行の時にこれらの節を学び、そのように生きるように試みてきました。

  1. 恵みとまことにとどまる
    私たちが下す、すべての決定を、これらを原則にして導くべきです。「恵みとまこと(3)」は私たちの心に深く埋め込まれるべきです。「まこと」とは、たとえば、あたかも今その人が目の前にいるかのように話すという意味です。私たちは、誰かがその場に居ても、居なくても態度が変わらないような人に信頼を置くのです。もし、あなたがそのように生きるなら、神は「神の目に、そして人々の目に(4,MSG訳)あなたに良い評判を約束されます。」
  2. 悪から離れ、神のふところに飛び込む
    私たちは、傲慢になって、自分が賢いと思うよりも、むしろ神を信頼すべきです。健全に神を尊敬するという意味において、神への恐れは私たちを「悪から離れ、神のふところに飛び込む(7,MSG訳)」ように導きます。神は「あなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける(8)」と約束しています。言いかえれば、霊的な事柄と肉体はつながっているということです。
  3. 気前よく与えるものになる
    実にそれは、あなたとあなたのお金についてのことです。神に「最初に最高のものを(9,MSG訳)」ささげるのです。すなわち、あなたの収入の最初であって残り物ではないということです。私はこれを特別な原則となるべきだということを見出しました。あなたが正しくささげたなら、あなたは、神はあなたの必要をすべて供給してくださるお方であるという真理を発見します。「そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。(10)」

祈り:主よ。ただあなたのみことばを読むだけのものにならないように。みことばを学び、みことばに生き、あなたの名に栄光をお返しするものとならせてください。


イエスのことばから神の語りかけを聴く

マタイ16:21-17:13

イエスのことばは神のことばです。神は言いました。「彼(イエス)の言うことを聞きなさい(17:5)」あなたがイエスの言葉を読み、あなたの心にもたらす時、あなたは神に聴いているのです。

イエスは弟子たちに攻撃を予期することを警告しています。私たちは批判を免れることはありません(16:21)。この箇所で2度、イエスは弟子たちに、ご自身が間もなく受けようとしている苦難について語っています。それは十字架と復活についての説明です(16:21、17:9-12)。

しかしながら、ペテロはイエスのことばを聴くことよりも、むしろイエスをいさめました(16:22)。イエスのペテロへの叱責こそは深い重要性を持っています。私たちが下す鍵となる決定において、私たちは自分自身に対して、神に関することか、人間に関することかどちらかと問わねばなりません(23)。イエスがペテロに言ったことは、イエスの使命の中心であり、それはイエスに従うすべての者に非常に大きな影響を及ぼすのです(24-28)。

私たちは快適さや安逸を追及するのではありません。イエスは弟子たちに言いました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(24-26)」

イエスに従うことは自己を否定することを含みます。あなたの十字架を負うてイエスに従うのです(24)。これがすべてが満たされた人生を見出す方法です。

富は、ある意味で、全く無意味です。人生の目的は財産や所有物と比べてはるかに重要なのです。世界中のすべてのお金を得ても、世界中のあらゆる成功を収めても、世界中で一番有名になったとしても、世界中のすべての権力を手に入れたとしても、もしあなたが魂を失い(26)、いのちの何であるかを見失ってしまったら、何にもならないのです。

他方、もし、あなたがイエスに従い、このお方に自分のいのちをささげるなら、あなたはまさに人生の目的を見出すのです。イエスのことばは尋常ではなく力強いものです。今「主に聴く」こと以上に重要な時はありません。

イエスはぺテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて、山に登りました。イエスの姿は彼らの目の前で変わりました。「太陽の輝きが彼の顔に注がれた。彼の衣は光に満ち溢れた。それから彼らはモーセとエリヤが彼と深い会話をしているのが分かった。(17:1-3,MSG訳)」彼らは神が「これは、わたしの息子、わたしの愛のしるし。わたしの喜びの焦点。彼の言うことを聞きなさい(5,MSG訳)」と語るのを聞きました。

モーセとエリヤがイエスと共に語っているように、あなたも「イエスと共に語る」人生を生きることができるのです。また、あなたは、あなたの人生にイエスが臨在するのを知ることができます。イエスのことばを読み、黙想することを通して、あなたは聖霊を通して、イエスと会話する経験を得ることができるのです。

ある意味で、あなたは「太陽のように(2)」輝くイエスの顔を見るのです。あなたはひれ伏し礼拝するのです(6)。あたかもイエスがあなたに実際に触れ、「恐れるな(7)」と言ってくださるように、あなたは感じることができるのです。そして、「だれもいなくて、ただイエスおひとりだけ(8)」を見上げる時があるのです。

祈り:主よ。あなたが私に語りかけてくださることを感謝します。そしてあなたに従うように私を召してくださったことを感謝します。あなたのために生きることを失っていた時、私はそれを見出しました。どうぞ、あなたの御声を聞かせてください。


あなたの生活を通して神に聴く

創世記47:13-48:22

ヤコブは晩年、試練や困難がたくさんありましたが、神の恵みを振り返りました。「イスラエルは床に寝たまま、おじぎをした(47:31)。」ヤコブは、神が生涯にわたって導いてくださったことを認識しました。それは、神と神の知恵に聴き、神との近しい関係を生きてきた男を思い起こさせる描写です。ヤコブはどのように神が彼に語り、彼の人生にビジョンを与えたかについて思い出しました(48:3-4)。彼はこう言うことができました。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。(15)」

ヤコブはまた、その子ヨセフが特別な方法によって神に導かれたことも認識しました。ヨセフが神から聴くことを学んだので、彼はパロの夢を解き明かすことが出来、その結果、大きな祝福を受けたのです。彼は神の民の命を救っただけではなく、すべてのエジプト人の命をも救ったのです(47:25)。ヤコブの生涯が終わりに近づいたとき、彼は神の約束と将来の祝福に信頼し、それを表現してヨセフの子どもたちを祝福しました。

ヘブル人への手紙の著者がヤコブの信仰の人生をコメントする時、この出来事に焦点を当てています。「信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちを祝福し、自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました(ヘブル11:21)。」彼がいよいよ生涯を閉じるとき、ヤコブの神への信頼は先細りしませんでした。彼は信仰を豊かに実らせて終わったのです。

あなたの生涯を通して、神に聴き、神を礼拝する中で忠実にとどまりましょう。神に聴き続ける人生は次の世代に信仰の恵みを受け継がせます。彼らもまた羊飼いの声を聞き分けるのです(ヨハネ10:3-4)。

祈り:主よ。聖書を通してあなたの声に聴くことの大切さを知ることができて感謝します。あなたは私たちを導くと約束し、語ってくださいます。毎日そして一生、あなたに聴くことができますように。アーメン。

H.K