Tokyo Chapel

2019年10月31日

第304日

驚くべき自由の秘訣

「テーブルの上にバイオリンの弦がありました。」ラビンドラナート・タゴールは記しました。「それは私の気の向くままにどこにでも持って行くことが出来ました。端をつまんでよじると、それは元に戻ろうとします。実に自由です。しかし、それは自由に音色を出すことが出来ません。それで私は自分のバイオリンにそれを取り付けて、弦巻に結び付ける時、初めてそれは自由に歌い始めることが出来るのです。」

本当の自由は自分自身をイエスに結び付ける時、そして私たちの目をイエスに固定する時にもたらされます。丁度、バイオリンの弦がバイオリンに巻き付けられ、固定される時にその役割を果たすようになるように、私たちもキリストにあって生き始めるのです。イエスは偉大な解放者です。イエスは私たちを自由にするのです。

キリスト教の中心はイエスとの関係です。イエスはあなたのために死なれました。イエスはよみがえって、今日も生きておられます。あなたは肉眼でこのお方を見ることは出来ません。しかし、あなたは信仰の目でこのお方を見ることが出来るのです。

今日の箇所で、ヘブル人への手紙の作者は言います。「私たちはイエスを見ています(ヘブル2:9,NIV訳)」後から、このようにも書いています。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(12:2)」イエスは私たちの信仰の創始者であり、また先に描写されてますが、「すばらしい救い(3)」をもたらす、そのような「救いの創始者(2:10)」です。

この救いはどのような内容を持っているのでしょうか?私たちは何から自由になったのでしょうか?


恐れからの自由

箴言26:13-22

クリスチャンとして、私たちは恐れの無い者であるべきです。私たちは、私たちを衰えさせる敵の恐れを許すべきではありません。

箴言の作者は言います「なまけ者は『道に獅子がいる。ちまたに雄獅子がいる』と言う。(13)」どんなクリスチャンのミニストリーも「雄獅子」に直面します。惰性と不活発に導く恐れによって怖気づかないようにしましょう(14-15)。イエスは私たちを反対されることを恐れないように助言することで私たちを自由にしました。

自由は無関心のアンチテーゼ(正反対)です。作者はあらゆる種類の怠惰に対して警告し続けます。彼は他人の議論に巻き込まれないように注意を促します(17)。彼はまた嘘を言うことを含む冗談に対しても警告します。

口論をしないようにする一番の方法はうわさ話をやめることです。うわさをしなければ、口論は、木が無ければ火が消えるように止んでいくのです(20)。うわさを聞くことはとても誘惑があります。「陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく。(22)」しかし、うわさを聞くことはうわさをするのと同じくらい悪いことです。盗品を買うことが、泥棒するのと同じくらい悪いのと同じようにです。

口論をどのように止ませるかという知恵がここにあります。火に油を注がず、むしろ平和を創り出す者になりなさい。

祈り:主よ。イエスを通して、私が恐れから自由になることができることを感謝します。反対に遭うとき大胆であることが出来ますように、恐れが私を衰えさせることがないようにお助けください。


罪と死からの自由

ヘブル2:1-18

ヘブル人への手紙は、押し流されないようにという警告が記されています(1)。多くの人々は突然クリスチャンであることを辞めたりしませんが、流されてしまうことがあるのです。ヘブル人への手紙の作者は自分自身をこの警告を受ける者の一人と考えています。「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、どうしてのがれることができましょう。(1-3a)」

ヘブル人への手紙の1章で、作者はイエスの神性を確立しています。この章では、彼はイエスの人性を確立しています。「彼(イエス)は人間生活の事細かなすべてに参入しなければなりませんでした。(17,MSG訳)」

イエスは私たちと同じようになられました。彼は…

  • 御使いよりも、しばらくの間、低くされた(9)
  • 家族の一員となった(11)
  • 私たちを兄弟姉妹と呼んだ(11)
  • 私たちの人間性を共有した(14)
  • すべての点で私たちと同じになった(17)
  • 試みを受けて苦しまれた(18)

しかし、作者は付け加えます。イエスがすべての点で私たちと同じように誘惑に遭いましたが、イエスは「罪は犯されませんでした(4:15)」。このことから誘惑そのものは罪ではないことが示されています。あなたが誘惑されたからといって悪魔に非難される必要はないのです。イエスご自身が誘惑されたという事実は、あなたが誘惑された時、あなたを助けることがお出来になるということを意味します(17)。

イエスは私たちのようですが、罪に関しては私たちとは異なります。イエスが人間としてのあらゆる経験や感情を経験しておられたということを知るのはなんと大きな励ましでしょうか。イエスはあなたを理解し共感してくださるのです。しかし、もっと重要なことはイエスには罪がなかったということです。私たちはただ私たちに同情してくれる友を必要としているのではありません。私たちは救い主を必要とするのです。

イエスは完全に神であり、完全に人間でした。だからこそ偉大な救いを死と復活を通して成し遂げることができたのです。イエスはあなたと神との間の断絶を橋渡ししてくださったのです。

この箇所で、作者はイエスの死について多くのことを私たちに告げています。十字架の上でイエスは…

  • すべての人のために死の苦しみを味わわれた(2:9)
  • 悪魔を滅ぼし(14)
  • 死の恐怖から解放し(15)
  • 私たちの罪のために贖いとなられ(17)
  • 私たちの救いの創始者となられ(10)
  • 苦しみを通して全うされた(10)

自由な人は死について考えても恐れません。究極的にはすべての私たちの恐れは死の恐れに関連しているということを示唆します。死と死の恐れからあなたが自由にされるなら、イエスはあなたをあなたの他の恐れからも自由にすることがお出来になるのです。

ヘブル人への手紙の作者は、イエスは「死を抱きかかえ、一身にそれを受け取ることによって、彼は死という悪魔の要塞を打ち破り、死に脅え、人生を委縮していたすべての人々を自由にするために(14-15,MSG訳)」、「すべての人の死」を味わわれた(9)と言います。

神はイエスがなされたこと、つまり偉大な救いを「しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によって(4)」証言されました。もし、聖霊の賜物が使徒たちだけのものでは無く他の人々をも含めるものなら、もちろん、しるしと不思議と奇跡もまたそうです。そして私たちは依然として今日もイエスのメッセージと偉大な救いを告げ知らせることに伴うことを期待すべきです。

祈り:感謝します。イエスよ。あなたは受難を選び取り、私のために死を味わわれました。私を自由にしてくださり、罪の結果と死の恐れからの自由を楽しむことが出来るようにしてくださったことを感謝します。


不義からの自由

オバデヤ1-21

私たちはひどい不正の世界に生きています。一例を挙げると ― 世界中には強制労働させられている人々が二千万人以上います。千二百万人の子どもたちが毎年人身売買されています。過去350年間に奴隷売買されてきた人数よりも今日隷属的に扱われている人々の人数の方が多いのです。

オバデヤ書はいつまでも世界がこのようではないと約束しています。ある日、神の国が完全に現れる時、すべてが正されるのです。

オバデヤという名の意味は「ヤーウェに仕え礼拝する者」です。旧約聖書の中で最も短い、この書にあるオバデヤという人物について実質的に知ることは何もありません。オバデヤは神の民の敵の一つが失墜することを予見しているのです。

エドムの民はヤコブの双子の兄弟エサウの子孫でした。彼らはいつもイスラエルの民と実際に血族関係にあると感じていました。しかしながら、これは、あまり相互に援助し合うのではなく、しばしば敵として逆襲したり裏切って襲撃することがありました。二つの隣接した民、イスラエルとエドムは長年の歴史の中で戦いと敵対を続けたのです。

高慢がエドムを失墜させました。「おまえは自分がとても偉大だと思っていた。…自分を『誰も俺を奪うことは出来ない!誰も俺に触れることは出来ない!』と思っていた。(2-3,MSG訳)」高慢は愛の反対です。愛はたかぶりません。それは傲慢にはなりません(1コリント13:4)。

オバデヤはエルサレムが587BCにバビロンによって陥落した時、エドムが一切助けず、彼らがユダの宿命につけこみさえしたことを示唆しています。

オバデヤは「おまえたちは自分たちの兄弟が倒され追い出される時、ほくそ笑んで眺めるべきではない。(オバデヤ12,MSG訳)」と書きました。彼は続けて言います。「主の日はすべての国々の上に近づいている。あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る。(15)」私たちは敵が敗れるときにほくそ笑むべきではありません。むしろ、私たちは神が私たちに向けておられるのと同じあわれみを向けるべきです。

オバデヤは大いなる解放を告げます(17,21)。それは主の日に実行されるのです(8,15)。彼は書きます。「主の日は…近づいている。(15)」その日には大いなる解放が為されるのです。

「シオンの山にいる救われたレムナント(残りの者)は
エサウの山に入って行くだろう
そして公明正大に統治する
神の国の名誉ある統治を(21,MSG訳)」

ある日、神の民は神の義をもって治め司り統治するでしょう。彼らは神の国における神の統治を顕すでしょう。

イエスの到来を伴って、神の国はこの歴史に突入しました。イエスが再臨する時、私たちは完全に神の国の全容を見るでしょう。その日、オバデヤのすべての預言がそして他の預言者たちの預言が成就します。私たちはすべての不正から自由にされるのです。

祈り:主よ。ある日、正義がすべてにもたらされることを感謝します。それまでの間、私たちが見える所どこであっても不正と闘うことができるように助けてください。アーメン。

H.K

References

Charles Allen, Raj a Scrapbook of British India 1877–1947, (Penguin Books, 1979)

Child Trafficking stats: Accessed via, https://www.stopthetraffik.org/about-human-trafficking/the-scale-of-human-trafficking/ [Last accessed October 2018]

https://arkofhopeforchildren.org/child-trafficking/child-trafficking-statistics [Last accessed for research: October 2018]