Tokyo Chapel

2019年12月4日

第338日

恐れに打ち勝つ4つの鍵

アレックス・ブキャナンは「牧師たちの牧師」として良く知られていました。彼は片耳が極度の難聴で、片耳の5%しか聴力がありません。そして顔の片側は手術で神経に損傷を受けたためマヒしていました。私は彼が神の愛について語ったのを聞いたことを覚えています。彼は繰り返し次のように語りました。「神はあなたを無条件に、心を尽くして、絶えることなく愛しています。」

彼が話を終える時、彼は私のところに来てこう言いました。「神があなたのことを良しと認めておられると信じますか?」私は言いました。「実のところ、私はそのことを本当に葛藤しています。なぜなら、私は、神が私を良しと認めておられることを難しいと思っている自分のことを知っているからです。」彼は応えて言いました。「私たちは皆、そのことに葛藤します。しかし神はあなたにご自身があなたのことを認めておられることをして欲しいと願っているのです。神はあなたに知って欲しいのです。神があなたを無条件に、心を尽くして、絶えることなく愛しておられることを…。」

もし私が聖書のことを考えて要約するように問われたとして、一言で言い表すとすれば、私は、「イエス」という言葉を除けば、「愛」という言葉を選ぶでしょう。今日の新約聖書の箇所で二回、「神は愛です。(1ヨハネ4:8,16)」と記されています。「愛」という言葉は私たちの社会では幅広く用いられます。聖書のどこにも「愛は神です。」とは書かれていません。言い換えるなら、何が愛であるかを規定するお方は、他のなにものでもなく神であるということです。

「神は愛です。」…これが、あなたが自分自身で理解し、常に思い巡らし、世に対して告げるのに必要なメッセージです。

今日、世界が大いに切望している答えがここにあります。人々は愛を探しています。彼らの心が探し求めているのです。あなたが本当にあなたへの神の愛を知る時、あなたの人生は変革します。今日の新約聖書の箇所を私たちが見る時、神の愛はあなたの人生にある不健康な恐れに打ち勝つための4つの鍵の各々の中心にあります。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。(18)」


神にその愛のゆえに感謝する

詩篇138:1-8

「ありがとうございます!私の内にあるすべてのものが言う『ありがとうございます!』」と詩篇の作者は記します。「あなたの愛のゆえにありがとうございます。あなたの誠実さのゆえにありがとうございます。」(1-2,MSG訳)

神は愛しておられ、誠実です。それは祈りの答えの中にあります。「私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました。(3)」

人生の中で私たちは多くの「問題(7b,NIV訳)」に直面します。― 病気、反対、誘惑、極度の疲労、試みや攻撃。神の愛と誠実によって、私たちは守ってくださいます。「私が問題のただ中を歩いていく時に、あなたは私のいのちを守ってくださいます。(7a,NIV訳)

私は8節は聖書全体の中で最も励ましを与える節の一つだと思います。「主は私のためにご自身の目的を、成し遂げてくださるでしょう。(8a,NIV訳)」神は、ご自身の愛と誠実の内に、あなたの人生のための目的を持っておられ、神はその目的を成就してくださいます。

人間の愛はうつろい易いものです。しかし「主よ。あなたの恵み(愛,NIV訳)はとこしえにあります。(8b)」神の愛と誠実さが手をつないで進む時、私たちも互いに愛し合うべきです。結婚関係において、そして私たちの他者とのすべての関係において。

祈り:主よ。あなたの驚くべき愛と私への誠実さを感謝します。あなたは私のためにあなたの目的を成就してくださることを約束してくださったことを感謝します。愛と誠実の生活を生きることができますように。


神の愛のうちに生きる

1ヨハネ4:7-21

「神は愛です。私たちが愛の命の内に永遠の住まいを取る時、私たちは神の内に生き、神は私たちの内におられます。(17,MSG訳)」

「愛」「愛する」「愛した」という言葉はこの短い箇所の中で27回も現れます。ここは新約聖書の中心です。ここは聖書の中心です。ここは神の心です。

愛は恐れの反対語です。「全き愛は恐れを締め出します。(18)」あるいは「完全な愛は恐れを扉の外側に追い出し、すべての恐怖の痕跡を駆逐します。(18,AMP訳)」愛は恐れの反対側にあります。それらは水と油のようです。愛はすべての人々が望むものです。恐れはすべての人々が追い出したいと願うものです。私たちはこの箇所で、あなたの人生にある不健康な恐れに打ち勝つ4つの鍵を見ます。

  1. 神の愛を理解する
    「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。…このことによって、…さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。…愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。(10,17-18)」

    不健康な恐れはアダムとエバが罪を犯した時、この世に入りました。彼らは神から身を隠しました。神が「あなたはどこにいるのか?」と問うた時、アダムは「私は…、恐れて、隠れました。(創世記3:10)」と答えました。アダムは神が彼を罰することを恐れたのです。

    恐れの最も深い根は罪に定められること、つまり神があなたに腹を立てているという感覚です。しかし、神は「私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。(1ヨハネ4:10)」イエスはあなたの罪を引き受けてくださいました。神はご自身に前にあなたに自信をもって欲しいと願っておられるのです。
  2. 神の愛を経験する
    「神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。…私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。(13,16)」

    あなたが神に無条件に愛されていることを知る時、あなたは本当に生き始めるのです。聖霊は私たちのための神の愛の経験を与えておられます。ピッパが子どものころ、彼女が怖がった時にはいつも、父親が彼女の手を取って、「お父さんがいるから大丈夫」と歌ってくれました。これが聖霊がなさることなのです。神はあなたの手を取って、ご自身の私たちへの愛を再び確かにしてくださるのです。
  3. 神の愛を信じる
    「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また拠り頼んでいます。(16,NIV訳)」ここで用いられている「拠り頼む(NIV訳)」というギリシャ語は「信じています(新改訳)」と同じ言葉です。私たちが神の愛を知り、経験する時も尚、私たちは信じ続けることが必要です。

    「物の永続性(Object permanence)」という言葉は心理学者が使う用語で、視聴触覚で認知されなくても物が存在し続けていることを理解する子どもの能力を指します。

    生後約4か月になる赤ちゃんは、もし目の前から物が見えなくなると、その物が存在することを信じるという能力を持っていません。もしあなたがおもちゃを隠したら、その意識からもはやその存在は無くなってしまします。そしてやがて、あなたがおもちゃを隠してもそれを探し続けるという段階に到達します。たとえ目に見えない時でも物は存在していると認識するのです。もし私たちが神の愛が見えなくて、感じなくても、神の愛を信じ続ける時、

    これはクリスチャンの成熟のしるしです。私たちは覚え、思い出すのです。私たちは日が照っていなくてもその存在を信じるように、あなたが暗闇に居て神の愛を感じないというような時でさえ、私たちは神の愛を信じ続けるのです
  4. 完全な神の愛
    「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。(12)」「全き愛は恐れを締め出します。(18)」

    あなたが主を愛し、他者と互いに愛し合うことによってその現実性を表すことをすればするほど、あなたが恐れに捕らわれることが無くなっていきます。愛の文化を育みましょう。愛を与え、愛を受けるのです。これは競争やうわさ話の対極にあります。あなたが他者に愛を与えれば与えるほど、恐れは消えていくのです。

祈り:主よ。あなたが無条件に、心を尽くし、絶えることなく愛してくださることを感謝します。完全な愛がすべての恐れを締め出したことを感謝します。


神の愛にしっかりと立つ

ダニエル11:2-35

「自分の神を知る人たち(32)」は愛の民です。愛は弱弱しくありません。本当に神を知っている民は悪の指導者たちに対抗します。デートリッヒ・ボンヘッファーはアドルフ・ヒトラーに粘り強く抵抗した、神を知る人物でした。彼は「神と人へのそのような愛を私に与えてください。すべての憎しみと苦々しさを拭い去るように。」と祈りました。何世紀にもわたって、自分の神を知る多くの人々が悪に対抗して堅く立ってきました。

ここで再び、この預言は二つの異なるレベルの成就を持っています。直近の未来に起こった歴史的成就はBC 530-150年に、統治した様々な王や支配者たちに関連する事柄です。彼らの多くは悪王であり不敬虔な行動をしました。

しかしながら、長期的な成就もあります。昨日私たちが見たように、イエスは、荒らす憎むべき者について言及しています(9:27、11:31、マタイ24:15参照)。イエスは多分AD 70年のエルサレムの陥落を、世の終わりに起こる事柄の予表として言及したのでしょう。

このすべての悪の真っただ中にあって、「自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行う(ダニエル11:32b)」のです。RSV訳では彼らは「堅く立って、行動を起こす」あるいはMSG訳では「自分の神に勇敢に忠誠を尽くす人々は力強く立った(32b)」と訳しています。さらに続けて「自分の手を真っすぐに保つ者たちは自分たちを手本にして群衆を悪から正すように教えるであろう。…試練は、自分の顔を真っすぐにし、真理に留まる者たちを精錬し、きよめ、純化する(33,35,MSG訳)」

今日、神にその愛のゆえに感謝し、神の愛のうちに生き、あなたの恐れを克服し、しっかりと立って、悪に対抗しましょう。

祈り:主よ。私たちを自分の神を知りしっかりと立ち、自分の恐れに打ち勝ち、悪に対抗し、行動を起こす愛の民となることができるようにお助けください。アーメン。

H.K

References

Dietrich Bonhoeffer, Letters and Papers from Prison, (Pocket Books, 1997) p.140.