Tokyo Chapel

2019年4月11日

第101日

神にとって重要な8つのこと

私は両親を深く尊敬しています。彼らはとても強い信念を持っているからです。私と姉は両親の価値観の重要性を疑うことなく育ちました。

私の父親にとって大事なことは正直であることでした。父親はよく「人に信じられる人間になれ」と言っていました。父親は正直であることに非常に高い価値を置いていたので、その基準を保持しようと、時には滑稽なほどでした。

両親がまだ結婚する前のこと、二人でバスに乗った時、彼らは行き先の違うバスに乗車してしまいました。数十メートル走った所で気づいて降りようとした時に、車掌が払わなくてもいいと言うのに、父親は運賃を支払うと言って聞かなかったそうです。父親は支払うことが出来なかったことが気に入らず、バス会社に運賃を送ったのですが、返送されてきたそうです。その結果、父親とバス会社の間の手紙のやり取りが長らく続いたのだそうです。母親には理解しがたいことで、婚約を解消しようかと思ったそうです。(それは冗談です。)

私は子どもの頃を思い出すとそれと似たような事が度々ありました。父親は少し過ぎるところがありましたが、私たち弟妹は父親が大切にしたこと、つまり「正直さ」の重要性を疑いません。今日の箇所では神が本当に大切にする事柄について見ていきます。


1.信頼

詩篇44:1-12

あなたはどこに信頼を置いていますか?

あなたの信頼を正しいところに置く事が不可欠です。あなたの信頼は究極的には自分の力に置くべきではありません。(「自分の剣によって地を得たのでもなく、…私の剣も私を救いません」,3,6)むしろ、あなたは神を信頼すべきです。「それはあなたです。あなたこそ私たちを救うお方です」(7,MSG訳)

詩篇の作者は後方と前方の両方を見ています。彼は後ろを振り返ってこう言います。「ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光が、そうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです。(3b)」そして前を見つめてこう言います。「神よ。あなたこそ私の王、私の神です。…あなたによって私たちは、敵を押し返し、御名によって私たちに立ち向かう者どもを踏みつけましょう。…あなたは、敵から私たちを救い…(4、5、7)」

祈り:主よ。今日、そして明日、チャレンジに面する時にあなたが勝利を与えてくださることを感謝します。私は自分の力に拠り頼まずあなたに信頼をおきます。


2.勇気

ルカ13:31-14:14

あなたは恐れによって決心が左右されることがありますか?

ネルソン・マンデラは言いました。「私は勇気とは不安がないということではないと言うことを学びました。それは恐れに打ち勝つことです。勇者とは、恐れを感じない人なのではなく、恐れを克服した人なのです。」

人間的に言えば、イエスが3年間の働きをした後に十字架にかけられたということは驚きに値しないことです。イエスは偉大な勇気ある男でした。イエスが「さあ逃げなさい。ヘロデがあなたの命を狙ってるから!彼はあなたを殺そうとしている!(13:31,MSG訳)」と告げられた時、イエスはこう返答しました。「行って、あの狐にこう言いなさい。(32)」ここで、イエスは、その当時、最も権力のある(そして悪い)男の一人に立ち向かう勇気を持っていたことが分かります。

イエスは律法学者やパリサイ人に対決することをも恐れていませんでした。イエスは彼らを避けません。しばしば多くの時間を彼らに割きました。一挙手一投足を眺めているような疑いと批判の目で見るような人たちよりも、好意的で受け入れられているような人たちと一緒に食事をする(14:1)ことは大きな誘惑であったでしょう。

「関節に大きな腫れがあった(2,MSG訳)」男を、安息日に、そのことをどのように評価するかを知っているパリサイ人の眼前で癒す勇気をイエスは持っていました。


3.あわれみ

あなたに印象を与える人によって心動かされたことがありますか?

イエスは個人的なあわれみ(例えば、病気の男を癒したり)だけではなく、エルサレムをもあわれまれました。この箇所で、イエスは母性的表現を用いて神の都対するご自身の愛を表現されました。「わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。(13:34)」(興味深いことに、イエスは聖書における男性、女性の比喩的描写にかかわらず、自然にご自身を神の位置の置きます。)

イエスは私たちのために十字架にかかり死んでくださるほどの最高のあわれみを見せてくださいました。

イエロー・ストーン国立公園が火事になったときの話です。森林警備隊が現地視察に向かったところ、一羽の鳥が、木の下で、黒こげになって横たわっているのを見つけました。隊員の一人がそっと、杖で鳥を押しのけると、突然、三羽のひなが死んだ母鳥の下からピヨピヨと現れました。母鳥がひなを守るために羽を広げて守って死ぬことを選んだので、ひなたちは母鳥の翼の下で生き残ることが出来たのです。同じように、私たちの母鳥であるイエスは、私たちを守るために死んでくださったのです。


4.謙遜

あなたは自分の地位や立場を人と比べて不安にあることがありますか?

イエスは謙遜について語ります。イエスは私たちに「末席に着きなさい。(14:10)」と告げます。イエスは「上座にすわってはいけません。…だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。(8,11)」と言うのです。

The Message訳では次のように記されています。「もしあなたが鼻高々に歩き回っているなら、面目を失うことになるでしょう。しかし、もしあなたがただ自分自身に満足しているなら、あなたは、あなた以上のあなたになれるでしょう。(11,MSG訳)

5.貧しさ

あなたには、あなたに見返りをもたらすような影響力のある人や裕福な人と一緒に過ごしたいという誘惑がありますか?

聖書は繰り返し、貧しい者に帰ってきます。今日の旧約聖書の箇所も、新約聖書の箇所もそのことに触れています。神にとって重要なことは、貧しい者に対するあなたの態度です。

イエスは「祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。(13-14)」と言いました。知的ハンディを持つ人々と持たない人々の共同体であるラルシュ(L’Arche)の創設者であるジャン・バニエは、このことを50年以上にわたって毎日行ってきました。

イエスは私たちに、私たちのコミュニティの中にいる貧しい人々を探し出すように薦めます。私たちは「お返しができない(14)」人々に仕えることに時間を割くべきなのです。

モーセは「あなたのうちには貧しい者がなくなるであろう。(申命記15:4)」と言いました。そしてまた「貧しい者が国のうちから絶えることはないであろう(11)」とも言いました。イエスも同じように「貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。マタイ26:11)」と言いました。貧しい人々が常に一緒にいるということは、貧困を根絶する努力をしないということなのではありません。

祈り:主よ。あなたに似た者になることが出来ますように。もっと励ましを与え、あわれみ深く、より謙遜になることが出来ますように。貧しい者に向けられるあなたの眼差しと心を与えてくださり、あなたのように仕えることが出来ますように。


6.寛大さ

申命記15:1-16:20

あなたは自分のことをけちだと思うことがありますか?寛大さは聖書全体を通して原則です。「あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない(15:7)」のです。むしろ、「進んであなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない(8)」とあります。常に悪意を持たず寛大に与えるのです。私たちは「常に気前よく、財布と手を開かねばなりません(11,MSG訳)」

あなたが与えることは、あなたに気前よく与えてくださる神への応答なのです。「あなたの神、主があなたに祝福として与えられたものを、彼に与えなければならない。(14)」


7.追憶

神があなたにしてくださった良いことを、あなたは忘れっぽいですか?

神の民は「エジプトの地で奴隷であったあなたを、あなたの神、主が贖い出されたことを(15、16:12)」覚えているように召されました。「それは、あなたがエジプトの国から出た日を、あなたの一生の間、覚えているためである。(3)」過越の祭の期間(1-8)、七週の祭り(9-12)、仮庵の祭り(13-17)それらは神のしてくださったことを覚えているため(3)のものでした。

聖餐式もまた、キリストの死と復活を定常的に覚えるためのものです。キリストの死と復活は、あなたを罪と死の束縛から解き放ち、神を知る自由をもたらし、完全なる命すなわち実に永遠の命を与えたのです。


8.正義

あなたは正義に関心がありますか?

正義は神にとってとても価値の高いものです。正直は神にとって重要です。(私の父は正しかったのです!)「正義を行いなさい。…人々を裁くときは公平に正直でありなさい。律法をねじ曲げてはなりません。えこひいきをしてはなりません。(18-19a)」
正義を、ただ正義を追い求めなければならない。(20)

実に大切なのは律法です。世界中を見渡すと、正義に反して恐ろしいことが行われ、その結果、被害に遭っている人々がたくさんいます。そこでは正しい裁きが行われず、裁きが行われても不公平な裁きが為されます。世界の多くの国では警察や判事が「袖の下」を受け取るのです。ですから「あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたよって見てはならない。わいろを取ってはならない。わいろは知恵のある人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。(19)」この命令は重要です。

法律が遵守されていない国や地域では、無実の人が捕らえられ、簡単に収監されてしまいます。なぜなら、不正直な者がおり賄賂が横行しているからです。

祈り:主よ。私の価値観があなたの価値と似た者になりますように。私の考えと方法が、もっとあなたの考えと方法に似た者となりますように。私にとって大切なことがあなたにとって大切なことでありますように。アーメン。

H.K

References

Nelson Mandela, The Long Walk to Freedom, (Abacus, 1995)  p.748