Tokyo Chapel

2018年10月29日

第302日

あなたの考え、心、魂をリフレッシュする方法

かつてのテレビ伝道者ジム・ベイカーは、彼の自伝「私は間違った(I Was Wrong)」の中で、屈辱と貧困に転落していき、不正会計で収監されたことを述べています。彼は自由、健全な考え、尊厳、信仰の確信そしてついには自分の妻を失いました。囚人番号07407-058、一度は大統領の友として助言者でもあった彼は、奈落の底に蹴落とされました。

彼がどん底に居た時、刑務官が彼に「ビリー・グラハムがお前に面会に来た!」と告げました。彼は考えました。「ビリー・グラハムがここに来た。…この場所に…私に会うために…。」彼が面会室に入って来た時、ビリー・グラハムは大きく腕を拡げて彼に近づきました。

その瞬間、ジム・ベイカーは本当に受け入れられていること愛されていることを感じました。「私は、何百万という人々に奉仕している世界に最も影響を与えている男に選ばれたことのあるその人が忙しいスケジュールの合間を縫って、一人の囚人に会いに来てれださったということを生涯忘れることはできません。」彼は如何に気分が落ち込み、インフルエンザ、汚物、絶望の真っただ中で、いかにビリー・グラハムの訪問が彼の心をリフレッシュし、彼の霊を力づけたかについて記しています。「私はイエスご自身が私を尋ねてくださったように感じた。」

リフレッシュメント(Refreshment)の意味は、回復する力、エネルギー、活力を意味します。軽いスナックをそのように呼ぶこともありますが。肉体的なリフレッシュメントはたとえば、睡眠、休息、運動などで得られます。

パウロはピレモンに「聖徒たちの心が(ピレモン7)」彼をリフレッシュしたと告げています。この手紙の後半で、パウロは「私の心をキリストにあって、元気づけてください。(20)」と言っています。では、どのようにしてあなたの考え、心、魂をリフレッシュできるのでしょうか?


神の言葉

詩篇119:121-128

金はこの世界が産する最も価値あるものです。それは錆びることがありません。それは他の金属と違って光り輝きます。

しかし、神の言葉は精錬された純金よりも価値あるものです。詩篇の作者は書きます。「私は、金よりも、純金よりも、あなたの仰せを愛します。(127)」

詩篇の作者の魂のリフレッシュの源は神の言葉です。この詩篇の前半で彼はこう言っています。「私のたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。…私のたましいは悲しみのために涙を流しています。みことばのとおりに私を堅くささえてください。(20,28)」あなたの考え、心、魂を神の言葉でリフレッシュしていただきましょう。

祈り:主よ。あなたのみことばを読み、思いを潜め、私の考え、心、魂に浸み込ませることにとって、情緒的に、霊的に私をリフレッシュしてくださることがどれほど驚くべきことかを感謝します。


神の民

ピレモン1-25

パウロは友人のピレモンに頼みごとを書きます(1)。ピレモンはオネシモという名の逃亡した奴隷を持っていました。逃亡中のオネシモをパウロはキリストに導きました(10)。

奴隷が逃走した場合の宿命は死か、むち打ちか、額への焼き印が一般的でした。今、恵みに満ちた、謙遜な、純粋な愛と魅力をもつこの手紙で、パウロは送り返すオネシモを奴隷としてではなく、友として兄弟として迎えて欲しいとピレモンに願っているのです(16)。何世紀も経て、さざ波のようなこれらの言葉の効果は社会を大幅に変える働きに寄与します。一地域の歴史は地球規模の歴史となったのです。

パウロは前向きな答えを受け取ることを期待しているということを願っていました。パウロは、ピレモンが自分が願うことを叶えてくれるという絶対的な確信を持っていました(21)。これは、あなたが行く所どこにおいても愛、赦し、和解をもたらすことの手本でありチャレンジです。

ピレモンは親しい友達でした。ピレモンは自分の家で教会の集いを導いていました(2)。そして、彼は信仰と愛の人です(5)。

パウロは、ピレモンのために「信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。(6)」と祈りました。「私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行いをよく知ること(6)」を彼が受け取るだろうとパウロが思ったことを書き留めていることは興味深いことです。たとえば、私がしばしばアルファで、人々がコースの中で、スモールグループのヘルパーやホストとなる時、彼らがどれほど早く自分の理解において成長するかに気づきます。成長の道はあなたの信仰を分かち合うことにおいて積極的になることです。

パウロは続けて言います。「私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。(7)」そして、パウロはピレモンにもう一つの愛の行為によってキリストにあって彼の心をリフレッシュするように頼んでいるのです(20)。彼のオネシモのためのすべての訴えは「愛によって(9)」いるのです。

明らかに、ピレモンは主の愛を知っている人でした。「あなたが、他の信者たちへと溢れていく主イエスのための愛と信仰を持っていることを私は聞き続けています。(5,MSG訳)」

パウロは「実に個人的な願い(8,9,MSG訳)」を送りました。それはピレモンがオネシモを「この時からもはや奴隷としてではなく、真のクリスチャンの兄弟として…あなたが私にするように彼を迎えて欲しい。もし彼が何かあなたの物を破損したり、あなたに負債があるなら、私の勘定にしておいてください。(16-18,MSG訳)」と頼んでいます。パウロは「そのことをあなたはキリストのためにするでしょう(20,MSG訳)」と書きました。しかし、それはまたパウロの心を元気づけることなのです(20)。

赦しはあなたを不当に扱ったり傷つけたりした人に対して愛とあわれみを拡張することを含んでいます。それは人間関係の和解と回復への道を明白にします。

パウロはピレモンに会うことを切望していました。彼は「それにまた、私の宿の用意もしておいてください。あなたがたの祈りによって、私もあなたがたのところに行けることと思っています。(22)」と書きました。あなたが愛する人々と一緒に時間を過ごしなさい。それが家族であれ、友人であれ、あなたの心と魂をリフレッシュします。

祈り:主よ。教会と、キリストにある兄弟姉妹のゆえに感謝します。私の心と魂を彼らがリフレッシュしてくれることを感謝します。


神の臨在

哀歌2:7-3:39

預言者の心にはリフレッシュメントの大きな必要があります。エレミヤがエルサレムの破壊を警戒していた時、彼は最もすさまじい苦難に取りかけまれていました。四方八方が荒廃し、人々は飢えていました。女たちが自分の子どもを喰らうというおぞましいどん底に至ったのです(2:20)。

苦難はエレミヤの周りだけにあるのではありません。それまた、彼自身の心と魂もまたそうでした。彼は「私の目は涙でつぶれ、私のはらわたは煮え返り私の肝は、私の民の娘の傷を見て、地に注ぎ出された。(11)」と書きました。彼の心は刺し通されました(3:13)。彼は「苦味と苦難(5)」で取り囲まれているように感じました。彼は暗いところに住んだのです(6)。

彼は「助けなく…取り残された(11,NIV訳)」ように感じました。彼は、もの笑いとなり、嘲られました(14)。これらすべての極めつけは「平安から(17)」遠のいてしまったことです。

彼の祈りは答えられていないように見えます。「私が助けを求めて叫んでも、主は私の祈りを聞き入れず、私の道を切り石で囲み、私の通り道をふさいだ。(8-9)。

彼は答えが「主の臨在」の内にあることを知っていました。彼は「夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。(2:19)」と書きます。

彼は続けて…
「私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。
私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は力強い。
主こそ、私の受ける分です」と
私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。
主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、
主を求めるたましいに。…
たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。(3:20-25,32)

リフレッシュの時は「主の臨在(使徒3:19)」がもたらします(使徒3:19)。あなたはこの新鮮さを毎日受け取ることができます。

神のあわれみは朝ごとに新しいのです。あなたは毎日、新鮮に、新しいスタートを切ることが出来ます。毎日、あなたは主を慕い求め、静かに主を待ち、希望を主に置き、主の臨在によってリフレッシュされるのです。

私たちが神が私たちを赦すために支払ってくださったものがどれほどであるかを知り、主のあわれみがどれほど大きいかを知る時、私たちを傷つけた人たちを赦し、彼らにあわれみを拡げることはどれほど簡単なことでしょうか。これは偉大な人間関係の鍵です。

励ましの言葉は無邪気や不自然なものではありません。それらは、内外の苦難の拡がりや葛藤の深さと拡がりについて、現実です。しかし、このすべての中にあって、私たちは神の良きお方であることと愛を手放さないでおれるのです。「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。(哀歌3:22)」

私たちはここにこの愛がどれほど可能性を生み出すかというヒントを見ます。預言者は書きました。「自分を打つ者にを与え、十分そしりを受けよ。(30)」イエスは自分のを彼を打ちたたく者に差し出されました(ヨハネ19:3、マタイ5:39参照)。そして、私たちのそしりを十字架の上で担われたのです。私たちをすべての罪からきよめるのはキリストの血潮です(1ヨハネ1:9)。そして、イエスの死を通して、あなたは赦され、きよめられ、新しくされ、毎日、あなたの心と魂がリフレッシュされるのです。

祈り:私は今日、あなたに私の心を注ぎます。あなたの臨在を持って私をリフレッシュしてください。あなたの誠実さと尽きることのないあわれみを感謝します。私の主イエス・キリストを通して、毎朝、新しくしてください。アーメン。

H.K

References

Jim Bakker, I Was Wrong, (Thomas Nelson, 2010) pp.282–284.