2019年6月22日
第173日
生きるのが難しい時
その人は福音を説いたために捕らえられました。彼の妻は4人の子どもを残し死んでしまいました。その子の一人は目が見えませんでした。それでも、彼はイエスの良い知らせを人々に告げることをあきらめませんでした。
彼は獄の中で偉大な書物を残しました。その本は数えることができないほどの読者を霊的に奮い立たせ、助けの源となりました。200か国語に翻訳され、1678年に初めて出版されてから、今日まで途切れることなく愛読されているのです。
「天路歴程」はジョン・バニヤンによって著された寓話です。「クリスチャン」と呼ばれる主人公が、故郷である「天の都」に旅するお話です。その途上で、彼は多くの困難、挑戦、障害にぶつかります。それでも、彼は最後までしっかりと忍耐するのです。
クリスチャン生活は簡単ではありません。その道を歩む中で多くの困難に遭遇するでしょう。しかし、それらに道を踏み外させる必要はありません。実際、あなたが困難な時を進んでいる時こそ、イエスはあなたの近くにおられるのです。あなたは、さらに強く、さらに知恵深く、そして、よりキリストのようになっていくのです。
苦難:どのように対処すべきか?
詩篇77:1-9
私はベネディクト会の修道僧ルイージと友達です。ルイージはしばしば祈る時に「さあ、愚痴こぼしの時間だ!」と言って始めるのだそうです。この詩篇は作者が神への不満をこぼすことから始まっています。
神との関係を持つことは、私たちを「苦難(2)」から守りません。詩篇の作者は「一晩中起きていて、一睡もできなかった(4a,MSG訳)」のです。彼はあたかも、神が彼を拒絶し、もう神の恩寵にあずかることはできないと感じました(7-9)。
詩篇77篇の前半に、私たちは苦難への対処の方法を理解し始めます。あなたが次のことを確証することができます。
- 神はあなたの叫びを聞いてくださる
確かにあなたが感じていることを神に告げましょう。「私は私の神に向かい叫ぶ。私は全力で叫ぶ。私は声を限りに叫ぶ。神は聞かれる。私は自分が問題の中にあることを見出し、私の主に尋ね求める。(1-2a,MSG訳)」 - 神はあなたの正直さを好む
正直な質問をする事に治療効果があります。神の民は、自分の疑い、困難、苦難を神のもとへと持ち運び、神に質問するのです。イエスでさえ十字架の上で詩篇22:1を引用して父なる神に問いました。「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか(マタイ27:46)」と。
神はあなたに神の前にありのままであってほしいと願われます。うまくいっているような見せかけを神は望んでおられないのです。神はあなたの真実な心の叫びを聞きたいのです。その叫びがあなたを神のみもとに引き寄せます。どんな苦難の中あったとしても。
祈り:主よ。感謝します。あなたは私の心の叫びを聞いてくださいます。あなたが私を拒まず、あなたの約束は決して損なわれることがないことを感謝します。
論争:どのように解決すべきか
使徒15:1-21
教会の中で議論や論争が起こったとしても驚くことはありません。今日の箇所は「パウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じた(2)」ことを伝えています。それはクリスチャンとして受け入れるため、つまり、教会のメンバーとなるための要件でした。論点は「救い(1)」のために「割礼」は要求されるのかということでした。。
私たちはここで4つのステップを経て決定をくだしていったことを知ります。これは、今日、地域、国、そして国際的に教会で議論が起こったときの取り扱い方のモデルといえます。
- 集まりを呼びかける
ある人々は、皆割礼を受けるべきだと主張していました。パウロとバルナバは猛烈に反対しました。彼らは両者の主張を聞くために特別な集会を持ちました。
対立を恐れることはありません。知的な人々が集い、重要な事柄を互いに話す時、双方の自然で生産的な反対意見が出てきます。実際、それは興味深いことです。 - 考えて議論する
「議論は延々と続き、一進一退であった。そしてますます白熱した(7,MSG訳)。」そして最後には2つの論点に左右されてきました。
第一に、彼らの理由は聖霊の体験を基礎としました。ペテロの最初の議論は、コルネリオの家で聖霊がなさるのを見たことに基づいたものでした。「神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。(8-9)」差別することは神に対抗することになったのです。彼らは「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。(11)」と結論づけました。
第二に、彼らの理由は聖書の証拠を基礎としました。ヤコブは「預言者たちのことばもこれと一致しており(15)」と、神の言葉と神の霊は調和することを指し示しました。ヤコブはみことばが「異邦人がみな、主を求めるようになるためである(17)。」と予見していることを示し、聖霊がもたらした経験が、聖書のみことばによって裏付けられていることを解き明かしたのです(19-21)。私たちは神の言葉と神の霊がいつも一致していることを確かにできます。私たちが確かにできないのは、どちらが正しいかという私たちの理解です。すべての者が割礼を受けるべきであるという議論は聖書に基づいたものです。ペテロとヤコブは聖書を度外視してはいませんでしたが、彼らは誤解して議論していたのです。 - 決定する
ついに、彼らは決議しました(22)。それは初代教会にとって大きな決断でした。「すると、全会衆は沈黙してしまった。そして、バルナバとパウロが、彼らを通して神が異邦人の間で行なわれたしるしと不思議なわざについて話すのに、耳を傾けた。(12)」それは人々を沈黙させるほどゾクゾクする瞬間でした。
その日の最後に、決断が求められました。使徒ヤコブは「私の判断では」と言いました。決断の要素は彼らは「神に立ち返る異邦人を悩ませ(19)」たくなかったということです。すべての人々が、実際的なすべてを許すわけではなくとも、その背景によらず、教会に招待されるべきだったのです。
ここでのレッスンは、私たちは、イエスにある信仰を探究する人々のまえに不必要な障害物を置いてしまうことに、とても注意深くあるべきだということです。そして、教会の定義を狭くしすぎないように気をつける必要があります。 - 決定を知らせる
彼らはそれを書き記しました(20)。議事録はただ形式だけのものではありません。それは決定を記録するという大切な意味があったのです。私たちは明日見ることになりますが、彼らはそれを知らせるという必要があったのです(23-29)。
祈り:主よ。教会で議論を取り扱う時、私たちが知恵深くありますように。あなたが、今日の教会のすべての部分に再び聖霊を注いでくださることを感謝します。私たちが「私たちと彼らとに何の差別もつけず(9)」、あなたのような同じ態度を持つことが出来るように助けてください。
誘惑:どのように対抗すべきか?
1列王9:10-11:13
ソロモンの人生は私たちに挑戦と警告を与えます。成功は時に失敗よりも危険です。
ソロモンはとても多くの正しいことをしました。彼はとても成功した人物です。当時、彼ほど裕福で知恵のある王はいませんでした。
皆が彼に会いたいと願い、「全世界の者は、神が彼の心に授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた(24)」のです。
ソロモンは12年間に神殿と王宮の建造という大事業を成し遂げました(9:10)。シェバの女王はその栄華に圧倒され「あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。(7)」と言いました。彼女はそれは神の御業であることを認め「主はほむべきかな。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義とを行わせられるのです。(9)」と神を讃えました。
悲惨なのは、ソロモンの最期でした。「彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。(11:4)」それで「主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。(9)」
何が彼を狂わせてしまったのでしょうか?それは乱婚から始まりました。「七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめ(3)」に溺れたのです。
そして最期は忌々しい神々に仕えたのです。「その妻たちが彼の心を転じた」のです。彼は「こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行い、父ダビデのようには、主に従い通さなかった(6)」のです。主が「多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。(申命記17:17)」と禁じていたのとは反対の行動を演じてしまいました。それがソロモン落とし穴でした。
ダビデはいつもいつも失敗をしました。彼はそうしたときに、主に悔い改め、立ち返りました。そして心を尽くして従ったのです。ソロモンの場合は何か違います。七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめは一夜で集めたわけではありません。ソロモンの心の中に妥協が生じていったに違いありません。神のすべてを祝福してくださったにもかかわらず、ソロモンは罪を養い続けることを許容し、最後には自分を滅ぼしたのです。
このような罠に落ちない秘訣はイエスの側にとどまり、イエスがシェバの女王について言った通り、「彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。(マタイ12:42)」と、このお方に耳を傾けることです。
祈り:主よ。この警告を感謝します。私の心を守ってください。主に全き献身をすることを助けてください。あなたに人生の最後まで従い通すことができますように。アーメン。
H.K