Tokyo Chapel

2018年9月12日

第255日

神の道に留まる方法

何年か前に、イタリアン・リヴィエラで起こった事故について読んだことを覚えています。ある若い男性が海岸沿いの道をスポーツカーでドライブしていました。そこは美しい風光明媚なルートでした。しかし、その道路は思いもよらないものでした。

道沿いには警告の標識が立っていました。しかし、この若い男性にとって、その道路は完璧に思えたのです。災害が彼を待っていました。地すべりによって、少し前に断崖が出来ていたのです。だれもその道を走ったりしませんでした。彼は猛スピードで走り続けました。彼はすべての警告の標識を無視しました。そして彼は断崖絶壁から真っ逆さまに落ちて行きました。

イエスは私たちを命に導く道があると言っています。また、破滅に導く道もあると(マタイ7:13-14)。警告の標識は脅しのためではなく、愛ゆえです。イタリアン・リヴィエラの標識は人々の安全を守るために立てられていました。イエスの言葉、新約聖書と聖書全体は命へと導く満ちに私たちを保つようにデザインされています。

どのようにして、あなたは正しい道にいることを確かにしますか?一度あなたがその道に置かれたなら、どのようにしてその道に留まり続けますか?


「素晴らしい道」を行く

詩篇107:1-9

「あぁ、神よ。感謝します。主は素晴らしい!神の愛は果てることがない(1,MSG訳)」あなたは、あなたのための神の目的を改良しもっと良くすることなどできません。神は良いお方です。神はあなたを愛しています。神はあなたの人生を最高のものにしたいと願っておられます。神はあなたの人生に「素晴らしい道」を持っておられます。

神はあなたにご自身の道を歩むように願っておられます。「神はあなたの足を素晴らしい道に置く。その道はあなたが生きるための良い地へと一直線につながる。(7,MSG訳)」神はあなたに「何年も荒野をさまよい、生きるための良い地を探すのに見つからない、喉が渇いて、半分死んだようになって、疲れ切ってつまづき、よろめくようになることを望んでおられません(4-5,MSG訳)」

良い知らせは、どんなところにあなたが居ようとも、あなたは「主に向かって叫ぶ(6a)」ことができるのです。あなたがそうする時、神は「渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので」満たしてくださいます(9)。

これはご自身の民を神が解放する多くの状況のための感謝の詩篇です。4回繰り返して詩篇の作者は言います。「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと(6,13,19,28)」いつも、神は彼らを救い出されたのです。

さらには、過去にあなたがしたことによって、あなたが神の民として不適格とされたことは何もありません。適切かどうかはただあなたが贖いを求めて神に叫んだかだけです(2)。贖いとは「神によって自由」にされるということを意味します。イエスはこの贖いを可能にするために来られたのです。

「主に贖われた者」は自分たちの物語を「言いました。」(2)主があなたをどのように救い出されたかというあなたの物語を他の人に告げましょう。

祈り:主よ。私が問題の中にあってあなたに叫んだ時、私を苦悩から取り運んでくださったたくさんの体験を与えてくださったことを感謝します。私を導いてください。私があなたの道を真っすぐに進むことができますように。


愛の道に生きる

2コリント12:11-21

使徒パウロは正しいことをすると完全に心に決めていました。パウロは正しい道に歩みたかったのです(18)。

パウロは偽りの訴えを受けていました。「大使徒」という言葉(11)はパウロを間接的に攻撃するために用いられました。その結果、パウロは誤解され、もっとよく知らなければならなかった人々から攻撃されたのです。ばかばかしいことに、パウロはコリントの人々からお金をもらいたがらなかったことを、パウロが彼らを愛していないからだと非難されました。

パウロはどうして彼らからお金を受け取らなかったのかという理由は彼らに負担をかけたくなかったからだと指し示します。パウロは言います。「私が求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のためにたくわえる必要はなく、親が子のためにたくわえるべきです。(14b)」

パウロが喜んで彼らのためにすべてを費やし、実に彼自身をも同じように費やしたのは彼らへのパウロの愛のゆえでした(15)。「公明正大」で「正直」(18,MSG訳)がいつもパウロが行ってきた方法でした。パウロがしてきたすべてのことは彼らの恩恵となるためでした(19)。パウロは彼らのお金や所有物に関心はありませんでした。彼は彼らの魂に関心を寄せていたのです。

ただパウロは正しいことをしただけでした。そして正しいコースにとどまったのです。パウロはコリントの人々にも同じようにして欲しいと願いました。彼は彼らの内に何人かがコースを逸れて「口論、嫉妬、感情の爆発、分派、怒りの言葉、意地悪なうわさ話、うぬぼれ、いつもの不穏な騒ぎ(20,MSG訳)」に陥ってしまうことを畏れたのです。

パウロが彼らの所に行った時、「彼らがのたうち回る性的な無秩序とみだらな行いという悪の豚小屋から立ち返ることを拒み、古い道に戻って何度も罪を犯し続けるような(21,MSG訳)」群衆を見ることになるのを恐れたのです。

いのちに導く道に歩むことを確かにし、それらの道から立ち返りましょう。いのちに導く道は愛の道、すなわちパウロがコリントの人々のために見せた愛です。

祈り:主よ。いつも愛に生きることができますように。そして私が労している人々への配慮から行動することができますように。自分の利益よりも、愛するということだけが動機となりますように。私をあなたの道に保ってください。主よ。


あなたのための神の計画を神に尋ねる

イザヤ 29:1-30:18

時々、私たちは自分自身の独立した計画を立て、困った時にまっすぐに誰か他の人に向かうことがあります。私たちは第一に神に尋ねることをしないのです。ジョイス・マイヤーが言うように「あなたが問題に遭う時、電話口(phone)に向かわず、御座(throne)に向かいなさい。」

預言者イザヤは、自分勝手な計画を立てて進もうとする神の民を非難します。彼らは神に尋ねることをしませんでした(30:1-2)。その結果、彼らは間違った方向に逸れて行きました。彼らは神に尋ねるよりもエジプトに依り頼んだのです。

彼らが実際に神の計画を知ろうとしたがらなかったことが問題です。彼らの礼拝は形式主義に堕していました(29:13)。「これらの民は正しいことを言って大きなショーを開いている。しかし、彼らの心はそこにはない。なぜなら、彼らはわたしを礼拝するように行動するが、その意味を知らない(13,MSG訳)。」

イザヤの時代の民に単純には書かれていなかった言葉をイエスは言います。イエスはパリサイ人や律法の教師たちに「偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』(マタイ15:7-9)」

彼らの心は神とともに正しくなかったので、彼らは自分たちの計画を主からとても深いところにまで隠そうとしたのです。「あなたがたは偽って有利な立場に立とうとする。あなたがたは神を締め出し、見せないようにする。あたかもあなた方がすべてを知っているかのように将来を描こうとする。…あなたがたは陶器師を土の塊のように取り扱う。本が作者に対して『お前は私の言葉を書きはしなかった。と言うだろうか?食事が、それを作った女に『彼女は何にもしなかった。』と言うだろうか?(イザヤ26:15-16,MSG訳)」

その結果、「あなたがたは計画を立てる、しかしわたしのものではない。あなたがたは取引する、しかしそれはわたしの霊にではなく、…私に尋ねることすらなく、エジプトへと逸れていく。(30:1b-2a,MSG訳)」

彼らは「彼らは反逆の民、うそつきの子ら、主のおしえを聞こうとしない子らだから。彼らは予見者に『見るな』と言い、先見者にはこう言う。『私たちに正しいことを預言するな。…道から離れ、小道からそれ、私たちの前からイスラエルの聖なる方を消せ。』(9a-11)」

彼らは自分たちにいかなる警告を与える預言者も欲しくはなかったのです。彼らは警告の標識を無視しました。実際、彼らは道から警告の標識を取り払ってしまいたかったのであり、預言者にあは「道から離れ、小道からそれ(11)」て欲しかったのです。彼らは言いました。「私たちは馬に乗って逃げよう。(16)」

時々、私自身の生活の中でも、神に尋ねることをしなかったので台無しになってしまうことや、自分自身の計画を変更しなければならないことがあります。

しかし、この箇所はまた、「コースを外れた者がコースに戻るだろう(29:24,MSG訳)」という希望も含んでいます。神は言います。「あなたの救いはあなたが私に戻って来ることを要求する。そして、自分を救おうとするあなたのばかげた努力をやめなさい。あなたの力はわたしに完全に依存することへと腰を落ち着けることからやってくる。(30:15,MSG訳)」

神は積極的にあなたを祝福しようと見ておられます。「主はあなたがたに恵もうと待っておられ(18a)」それゆえ、神はあなたがたをあわれもうと立ち上がられる。そしてあなたに慈愛を見せてくださるのです。主は義なる神です。「あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。(18b-18c)」

祈り:主よ。私はあなたの計画を知りたいのです。あなたの声を聴かせてください。「立ち返って静かに」あなたへと近づき「落ち着いて、信頼」してあなたの道に歩むことが出来ますように(15)。アーメン。

H.K

References

Joyce Meyer, @JoyceMeyer: https://twitter.com/joycemeyer/status/367322178749857792 [Last accessed: September 2015]